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赤坂 島袋

東京・赤坂見附駅から徒歩約2分。ビルの3階にあるカウンター8席のみの和食店。店主・島袋洋平さんは、日本料理の重鎮・神谷昌孝氏が営む「神谷」をはじめ、数々の名店で研鑽を重ね、2024年9月に自身の店を構えた。削りたての鰹節を使った出汁や、旬の食材を活かしたコース料理で、日本料理の奥深さを伝えている。

関東 和食

平均予算:40000円

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島袋 洋平

平成19(2007)年/調理師科2年コース

島袋 洋平 氏店主

1986年、沖縄県国頭村生まれ。地元の高校を卒業後、ナカムラへ進学。和洋中の基礎を学び、卒業後は東京・乃木坂の日本料理店「神谷」へ。以降、「花山椒」「いしす」「銀座しのはら」など、都内の名店で腕を磨き、料理長も歴任。2024年9月、赤坂見附駅のそばに「赤坂島袋」を開業。出汁を軸に、香りと余韻を大切にした料理を追求している。

 

――料理人を志したきっかけは?
小学生の頃に観たテレビ番組『料理の鉄人』が最初のきっかけでした。番組に登場する料理人たちの所作や緊張感に惹かれ、「自分もこうなりたい」と思ったんです。当時は和洋中どれかにこだわることはなく、純粋に料理の世界に入りたいという気持ちでした。
 
――進学先として中村を選んだ理由は?
沖縄出身ですが、福岡には親戚にいて、家族からも「福岡なら安心だろう」と背中を押されました。学校選びで重視したのは、通いやすさと学べる内容です。ナカムラは和洋中すべてのジャンルを幅広く学べることに加え、アクセスの良さもあり、自然な流れで進学先を決めました。実際に通っていると、どのジャンルにも触れられたのは大きな財産でしたし、厳しい指導の中で料理に対する姿勢も磨かれたと思います。
 
――在学中に印象に残っていることはありますか?
関東や関西の有名な料理人の方が外部講師として来校される特別授業がとても刺激的でした。第一線で活躍する方々の話はリアルな説得力があり、「自分も早く現場に出たい」という思いが強くなりました。また、試験の内容も他校と比べて厳しかったと感じますが、それも良い意味での厳しさだったと思います。今振り返ると、あの環境で学べたことは自分にとって大きな財産ですね。
 
――卒業後の進路について教えてください。
在学中、「神谷」の神谷昌孝さんが外部講師として来られた際に「この人のもとで働いてみたい」と強く思いました。担任の先生にその思いを伝えたところ、神谷さんに引き合わせていただき、就職が決まりました。配属先は本店。1年目はとにかく何もわからず、怒られてばかりの毎日でしたね。それでも必死に頑張っていると、3年目くらいからようやく魚をさばかせてもらえるようになりました。ただ、ミスをするとすぐにチャンスを失うという厳しさもあって、魚を触らせてもらえなくなった時期には、自分で魚を買い練習を重ねていました。とても厳しい世界でしたが、実力さえあれば任せてもらえる環境だったことは、自分にとって合っていたと思います。
 
――その後もさまざまな店で経験を積まれたとか。
「神谷」に5年勤めた後、汐留にあるパークホテル東京の「花山椒」へ。親方が「京味」出身の方で、京料理を学べたことは大きな経験でした。ただ、カウンターがなかったため、お客様の顔が見えず、料理が“作業”になってしまうように感じて違和感を覚えました。そんなとき、「神谷」の料理長だった方が料理長を務める自由が丘の「いしす」に誘っていただき、働くことになりました。2年半ほど在籍しましたが、途中でその方がハワイの新店舗立ち上げに抜擢され、私はそのタイミングで「神谷」に戻ることに。再び3年ほど勤め、後半は料理長を任されました。その後、「いしす」に料理長として戻ったものの、コロナ禍で無期限休業に。次に選んだのが「銀座しのはら」でした。トータル4年在籍し、2年目からは料理長として勤務していました。
 
――独立に至ったきっかけは?
東京で修業をしてきたからこそ、東京で勝負したいという気持ちがありました。独立に向けて物件を探す中で、銀座でもいくつか見て回りましたが、条件に合うところがなかなか見つからず……。そんなとき、最初の修業先からも近い赤坂で、良い物件と出会うことができ、2024年9月、『赤坂島袋』をオープンしました。
 
――お店のコンセプトを教えてください。
できたての料理をカウンター越しに提供するスタイルです。和食の本質は出汁だと考えているので、特に椀物には力を入れています。鹿児島産のマグロ本枯節と7年物の昆布を用いてとった出汁を、削ってから15分以内に提供することにこだわっています。出汁は香りが命ですので、少しの時間差でも変わってしまう。そこは絶対に妥協しません。また、食材は豊洲市場のほか、福岡や福井、たけのこの時期には京都や合馬など、信頼する生産者からも直接仕入れています。

――料理に向き合う上で、大切にしていることは?
まず、自分自身が料理を楽しむこと。それがすべての原点だと思っています。「もっと美味しくするにはどうすればいいか」を常に考えながら、奇をてらうことなく、シンプルな構成の中でどこまで深みを出せるかを探っています。やりすぎず、足し算よりも引き算を意識する。そしてその中に、ほんの少しの遊び心を忍ばせることも大切にしています。
 
――将来的にめざすビジョンを教えてください。
ゆくゆくは、地元・沖縄の食材を使った料理やプロジェクトに携わってみたいと考えています。その延長線上で、沖縄の食材を使った自分にしかできない日本料理をやってみたい。そして、最後は沖縄で店を開くのもいいかもしれません。
 
――ありがとうございました。

 

この仕事は、正直に言って大変です。でも、目の前のお客様が笑顔になる瞬間を見られるのは、何事にも代えがたい喜びです。うまく料理ができたとき、自分の引き出しが増えたと感じられたとき、その積み重ねがこの仕事の魅力だと思います。若い人たちには、目標を持って努力を続けてほしい。私自身も「30歳で料理長になる」「40歳で自分の店を持つ」といった10年単位の目標を持って動いてきました。なりたい自分を思い描くことが、結果につながっていくと思っています。頑張ってください。

 

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