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HEIDEL BERG(ハイデルベルグ)

1994年12月、父・河原清光さんが開業した「ハイデルベルグ」。徹さんが承継した後、2022年7月にJR海老津駅前から公園通りへと移転した。ショーケースには常時30種以上の生菓子が並び、焼き菓子なども充実。地元客に親しまれる一方で、福岡や北九州などから訪れるファンも増えている。

九州 スイーツ・カフェ
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河原 徹

平成29(2017)年/製菓技術科(2年)

河原 徹 氏オーナーシェフ

1994年福岡県岡垣町生まれ。サッカー選手になるという夢に向かい、幼少期から高校までサッカーに打ち込む。ナカムラを卒業後、埼玉県の「パティスリーオランジュ」に入社。その後、福岡市南区の「ラ・ボンヌ・アドレス」で研鑽を重ね、2019年10月、父が営んでいた「ハイデルベルグ」に入社し、代表取締役に就任した。2018福岡県洋菓子技術コンテスト大会グラン・ガトー部門最優秀賞(福岡県知事賞)受賞。

 

――パティシエを志したきっかけを教えてください。
最初はサッカー選手になりたいという夢を追いかけて、幼稚園から高校までサッカーに明け暮れていました。一方、「ハイデルベルグ」の創業者である父の手伝いをする機会があり、カッコいいなと思っていました。いざ、進路を決めなければならないタイミングが来たとき、パティシエになろうと専門学校に進学することを選択しました。
 
――ナカムラを選んだ理由は?
著名な特別講師の方が来られて直接教えてくださること、実習が多いことに魅力を感じました。他にもいくつかオープンキャンパスに参加しましたが、ナカムラがいちばんでしたね。
 
――学生時代で印象に残っていることを教えてください。
真面目な生徒ではなかったですし、かといって問題児でもありませんでした。日々の実習や学園祭など、楽しい2年間だったと思います。
 
――卒業後の進路を教えてください?
関東で修業をしたいと考えていましたので、埼玉県にある「パティスリーオランジュ」に入社しました。オーナーシェフの橋本清二さんは、新しい洋菓子技術・技能の研鑽と、それを担う若い菓子職人の育成及び業界全体の技術向上を目指し活動する「内海会」の理事をされていて、さまざまなコンテストにも携わられていた方です。そのような世界に触れ、今のままの自分では駄目だなと思い知らされました。約2年間お世話になった後、福岡に戻り南区大橋の「ラ・ボンヌ・アドレス」へ。この店のシェフはフランスで腕を磨き、名古屋の「ミッシェル・ブラン」でシェフ・パティシエを勤めた方。技術面はもちろんのこと、モノの性質や衛生面のことなど、厳しく教えていただきました。その頃、洋菓子技術コンテストにも出場し、最優秀賞(福岡県知事賞)を受賞できたことは自信になりましたね。その後、父が病になり、家業である「ハイデルベルグ」に戻ることになりました。
 
――『ハイデルベルグ』はどのようなお店ですか?
父は常々「地元から愛されるお店でありたい」と言っていました。その思いや父から受け継いだことを守りながらも、お客様のニーズに応じて常に進化を続ける店づくりをめざしています。お客様が喜んでくださっていると感じられることが、モチベーションにつながっていますね。
 
――パティシエとして意識していることは?
福岡ではなく東京の人たちがどんなことをしているのかを見るようにしています。また、自分が作りたい独りよがりのケーキを作るのではなく、お客様がどんなケーキを求めているかを意識し、「はちみつを使わないでほしい」「甘さを控えめにしてほしい」といったお客様の声に可能な範囲で柔軟に対応しています。
 
――最後に。今後の展望を教えてください。
移転してまだ2年ほどしか経っていません。今は大きくしようとは考えていなくて、できればもう少し商品なども絞りながら、より凝ったケーキを作っていきたいと考えています。福岡市内の有名店とも勝負できるような存在になり、遠方からもお客様にお越しいただきたいですね。
 
——ありがとうございました。


 

私は1つのお店に長く勤めたことはありません。長く続けることも素晴らしいことですが、私の場合、複数のお店でいろんなことを経験してきたからこそ、今があると思っています。ときには失敗もしましたが、その失敗を糧にしながら、一歩ずつ成長して来れました。店を辞めて次に移ることは、振り出しに戻ってしまうし、怒られることも増えるけれど、若いうちに多くの経験を重ねることも大切です。自分の人生なので自分が納得できればいいと思って、自身が成長し続けられる場所を探してください。

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