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IL BALLOND’ORO(イル バロンドーロ)

東京・恵比寿の路地裏。アラカルトとイタリアワインを気軽に楽しめるこの店は、2022年から連続してミシュランビブグルマンに選出。東京の名店「イル・ボッカローネ」で腕を磨き、イタリア各地での修業を経て、同店の料理長として腕を振るった店主が、2018年に独立。毎日訪れても飽きさせない味と空気感を紡いでいる。

関東 イタリアン・フレンチ
  • #恵比寿
  • #ビブグルマン
岩田 正記

平成12(2000)年/調理師科2年コース

岩田 正記 氏オーナーシェフ

1979年、福岡県志免町出身。高校までサッカーに打ち込み、進路を料理の道へ切り替えてナカムラへ。卒業後は東京・恵比寿の名店「イル・ボッカローネ」に入社し3年ほど働いた後、同社に在籍したままミラノをはじめ、イタリア6州9店舗で1年半の修業を積む。帰国後は料理長として13年にわたり腕を振るい、2018年10月、東京・恵比寿に『イル バロンドーロ』を開業。

 

――料理人を志したきっかけは?
母がグルメで、子どものころからいろいろなレストランに連れて行ってもらいました。小学生のときにつくった料理を両親が喜んでくれて、それが嬉しかったことが記憶として残っています。ただ、当時はまだ料理人になろうとは思ってはいなくて。中学生のころにJリーグがスタートし、東福岡高等学校のサッカー部に入りました。とはいえ、当時の東福岡高等学校は全国トップクラスのチーム。試合にはなかなか出られなくて。大学からも声はかかっていましたが、そこで切り替えて料理の道に進もうと決めました。
 
――進学先として中村を選んだ理由は?
地元にあり、妹が中村学園女子高等学校に通っていたので、自然と身近に感じていました。福岡以外に出ることも考えましたが、親からの勧めもあってナカムラへ。当時はサッカー部に所属し一生懸命取り組んでいたことも良い思い出です。中村祭や1泊2日の行事など、学生生活を楽しめる機会も多くありました。
 
――卒業後の進路について教えてください。
西洋料理を選んだのは、コック帽への憧れもあったからです。ところが、校外実習でホテルの厨房に入った際、大量調理の分業体制に触れて、「自分がやりたいのはこれじゃないな」と感じて。その後は中華に惹かれ、東京の中国料理店「トゥーランドット」へ実習に行きました。卒業後はここで働きたいと思ったのですが、残念ながらその年は採用枠がなくて――。そんな折に先生から紹介してもらったのが、東京のイタリア料理店「イル・ボッカローネ」でした。平成元年にオープンした老舗で、まだイタリアンが一般に浸透していなかった時代から、パスタやピッツァといった粉ものを軸に、多くの人に親しまれてきた店です。当時は「日本でもっとも忙しいイタリアン」とも言われていて。ここなら経験が積めると感じ、入社を決めました。
 
――イタリア修業のきっかけと、その後について教えてください。
「イル・ボッカローネ」で3年間働いたあと、イタリアへ行こうと決意しました。本来なら一度退職して渡航するつもりでしたが、オーナーから「在籍したままでいい。給料も払い続けるから行ってこい」と背中を押してもらって。2005年に渡伊し、ミラノを皮切りに、フィレンツェ、ジェノヴァ、トスカーナ、サルディーニャ、プーリアなど、1年半で9つの店を経験しました。どの土地でも郷土料理や素材の扱い、料理に対する考え方を学べたことは、何よりの財産です。ちょうど料理長が辞めるタイミングだったこともあり、「帰ってきて料理長を任せたい」と声をかけてもらい、帰国後はすぐにその役を引き継ぐことになりました。
 
――『イル バロンドーロ』開業までの経緯を教えてください。
「イル・ボッカローネ」で13年間料理長を務めたあと、自分の店を持ちたいという思いが自然と強くなっていきました。恵比寿の街で19年過ごしてきたこともあり、物件を探すのもこの周辺が中心でしたね。福岡に戻る選択肢も頭の片隅にはありましたが、まずは東京で、自分なりの形を残したいという気持ちが勝り、2018年10月、この店をオープンしました。
 
――お店のコンセプトや、店名に込めた思いを教えてください。
イタリアの大衆食堂のように、気取らず日常的に通える場所をめざしています。コースは設けずアラカルトのみ。パスタ1皿とワイン1杯でも気軽に楽しめる店でありたいんですよね。2軒目、3軒目として、前菜とグラスワインを楽しむ方も多く、恵比寿の街に根づいた存在でありたいと思っています。店名は、イタリア修業で最初に教わったリゾット・ミラネーゼが由来です。サフランで黄金色に炊き上げるその料理を、自分の原点とする特別な一皿と捉えていて、その“黄金色”が、サッカーの最優秀選手賞「バロンドール(黄金色のボール)」と重なりました。料理とサッカー、どちらにも真剣に向き合ってきた自分らしい名前として、命名しました。

――料理に向き合う上で、大切にしていることはありますか?
「同じものを、同じ味で出し続けること」。シンプルですが、それがいちばん難しいけれど、いちばん大事だと思っています。オリーブオイルひとつとっても、その年の出来や状態によって風味が変わるし、自分の味覚も体調に左右される。だからこそ、自分の味覚を信じて、細かく調整をしながら日々向き合っています。
 
――今後の展望を教えてください。
ありがたいことに、2022年から3年連続でミシュランのビブグルマンに選んでいただいています。まずはこの評価をしっかり維持していくこと。それが目下の目標ですね。将来的には、地元・福岡でお店を開くという構想もありますが、現状の体制ではなかなか難しい。それでも、いつかは福岡でも何かをやってみたいという気持ちはずっと持ち続けています。
 
――ありがとうございました。

 

料理は、人のためにつくって喜んでもらえる仕事です。その魅力をいちばん実感できるのが、やっぱりレストランの現場だと思うんですよね。そして、もしチャンスがあれば、海外に渡り、その土地の文化や料理に触れてみてほしい。食を通じてその国を知ることは、自分の価値観を広げるきっかけにもなります。世界を見渡せるような視点を持って、どんどん挑戦していってほしいと思います。

 

 

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