——藤本さんが料理人を志したきっかけを教えてください。
やはり父の影響でしょうね。父から何かを言われたわけではないですが、中学を卒業するときには料理人になると決めていました。料理人になると父に言うと「専門学校に1年通って基礎を身につけてから現場に出た方がいい」とアドバイスされ、ナカムラを薦められました。
——どんな学生時代でしたか?
学生時代は厳しい学校だと感じましたが、就職して厳しくしていただいたことがとてもありがたかったことに気づきました。というのも、調理の実技試験は合格するまで丁寧にサポートしてくれますが、遅刻は絶対に許してもらえませんでした。これは社会に出ると当たり前のことで、学生時代に鍛えてもらったからこそ、就職した後は、そこが苦になりませんでしたね。今思えば、社会に出るための準備期間のような印象でした。
——卒業後は、お父様が修業された西麻布の「キャンティ」で修業をされたそうですね。
はい。父が「キャンティ」にいた頃の同期だった方が西麻布店の料理長だったご縁で、約4年間、学ばせていただきました。なので、ベースは父と同じということになりますね。
——その後、イタリアへ行かれたのですね。
そうですね。父から「現地を見た方がいい」と勧められたこともあり、イタリアへ行くことにしました。現地では、料理のことというよりも、ヨーロッパの料理人の人柄というか、在り方のようなものを学びましたね。日本はどうしても縦社会になりがちですが、イタリアは経験や立場などは関係なく、シェフに対しても言うべきことは言いますし、一人ひとりの意識が全く違うと感じました。フィレンツェ、ヴェローナで2年ほど過ごし、2002年に帰国。「カサーレ」に入り、父とともに厨房に立ち始めました。
——お父様から受け継いだもの、また藤本さんご自身が取り入れているものは、どのようなことですか?
創業当時から多くのお客様に喜んでいただいている「ペペロンチーノ」は、絶対に守っていかなければならないと思っています。これを楽しみに来てくださるお客様も多いですし、「カサーレ」を代表する味ですからね。また、ランチ時にご提供するパンも、父がずっと店で焼いてきました。これも、ずっと続けていきたいと思っています。一方で、イタリアで見てきたクッチーナノーヴァの要素をプラスしていきたいという想いもあります。
——最後に。藤本さんにとって老舗を守り続けるというのは、どのような想いですか?
イタリア料理を親子でしているという話は、福岡でもほとんど耳にしたことがありませんし、肉親と一緒にするというのは、大変なこともあります。けれど、父が築き、この街の人々に愛され続けてきた店を守り続けていかなければ!という想いが強いですね。
——ありがとうございました。
これまでの料理人人生を振り返ってみると、大変ではありましたが、若いうちに苦労しておいてよかったと感じています。というのも、この年齢になると、なかなか苦労ってできないものなんですよね。専門学校を卒業して社会に出たとき、同級生たちはまだ大学生で遊んでいるのを見ると羨ましく思ったりもするでしょう。けれど、その時間は、自分の夢を叶えるための準備期間だと捉えれば、頑張ることができるのではないでしょうか。頑張ってください。