——井本さんが料理人を志したきっかけを教えてください。
叔父がパティシエをしているなど、母方に料理人が多い家系だったため、幼い頃から料理人になろうと考えていました。
——最初から和食を目指されていたのでしょうか。
いつか料理の世界に進みたいという思いは抱いていたのですが高校卒業後は3年ほど全く違う業界にいて、21歳でナカムラに入学しました。最初はイタリア料理を志望していたのですが、授業をうけていくうちに日本料理の丁寧さや奥深さを知り、夏休み前には日本料理に進みたいと考えるようになりました。夏の校外実習はナカムラの卒業生の白次亮一さんが営む「石堂橋 白つぐ」へ行かせていただきました。
——ナカムラに通われていた1年間で、どんなことが印象に残っていますか?
高校時代まではあまり勉強をしない方でしたが、その1年間はすごく勉強しましたね。座学も実習も一生懸命取り組みましたし、練習もたくさんしました。1年間、本当に充実していましたね。高校を卒業してから3年間のブランクがありましたので、遅れていたものを取り戻すという気持ちもあったかもしれません。当時からいろんなお店を食べ歩いたりもしましたし、今思えば、入学が遅かったというのがよかったのかもしれないですね。
——卒業後はどのようなお店で修業されたのでしょうか。
実習先の白次さんから「日本料理をするなら京都へ行った方がいい」というアドバイスをいただいたので、夏休みに京都へ食べ歩きに行きました。さまざまなお店に伺ったのですが、その中で「はな邑」がいちばんいいと思ったので、その場で「私を雇ってください!」と直談判し、入らせていただけることになったんです。「はな邑」には2年お世話になり、その後、「祇園川上」で5年、合わせて7年、京都で学ばせていただきました。
——京都ではどのようなことを学ばれたのでしょうか。
京都はすべてにおいてホンモノがある街でした。料理屋さんはもちろんですが、道具屋さんもありますし、美術館や博物館もたくさんあり、板前を育てる環境がありましたね。貴重な休みは自分のセンスを磨くためにさまざまなところへ行きましたし、今も時間を見つけては京都や東京に行くようにしています。また、技術は誰でも学ぶことができますが、人とのお付き合いの仕方、人としてどうあるべきかということはすごく勉強させていただきました。もちろん、その部分はこれからも、もっともっと成長していかなければいけないところでもあります。
——その後、福岡に戻られ、29歳で「井本」をオープンされたのですよね。
はい。もう少し京都で学びたいという気持ちもあったのですが、家庭の事情で福岡に戻ってくることになりました。どこかのお店に入ることも考えたのですが、「自分でしよう!」と決意し、右も左もわからないままなんとかお店を開くことができました。
——井本さんはどのようなことを意識しながら料理をされていますか?
いい食材を揃えてシンプルに料理をすることがご馳走だと考えています。福岡の魚はもともと好きでしたので、福岡の魚と修業時代を過ごした京都の野菜を組み合わせ、複数の食材をまとめるのではなく、相性のいい食材をシンプルに合わせて、お互いの良さを引き出していくことを意識しています。
——最後にミシュラン2つ星獲得の率直なご感想を教えてください。
星が取れたらいいなと思ってはいたのですが、2つ星ということで、1つの評価として素直に嬉しかったです。また、2つ星を獲得したことをお客様が喜んでくださったんです。それも嬉しいことでしたね。
——ありがとうございました。
私は料理が好きという気持ちがあったからこそ、今まで続けてくることができました。キツイこともあったけれど、乗り越えてくることができたのです。だから、皆さんは料理を好きでい続けて欲しいと思います。言うのは簡単ですが「継続は力なり」です。好きなことを見つけて没頭して人生を過ごした方が幸せなはず。その好きなことが料理であってくれると嬉しいですね。