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JEAN DOUX(ジャン・ドゥ)

素材感を大切にしながらフランス仕込みの「技」と「想い」を丁寧に伝える老舗洋菓子店。

九州 スイーツ・カフェ
  • #スイーツ
陶山 忍

昭和58(1983)年/調理師科1年コース

陶山 忍 氏オーナーシェフ

中村調理製菓専門学校を卒業後、フランス料理のシェフをめざし、当時福岡で有名なレストラン「花の木」で修業。2年間ギャルソンを務めた後、厨房で経験を積み、ワインの勉強やオーダーの取り方、テーブルセッティングなどフレンチの基礎を学び、「ムッシュ・ブッファン」へ。その頃からお菓子への興味が高まり、手にした本の影響を受けて渡仏を決意。リヨンのレストランで働いた後、「フォン・ドール・チバ」「エルグ・アッシュ」「ジェラール・ミュロ」で菓子修業を積み、帰国後、「16区」の三嶋シェフに師事。33歳で独立を果たす。

 

――お菓子の世界をめざしたきっかけは?
子どもの頃からものをつくることが好きで、将来は建築家や美術家など何かものをつくり人に感動や喜びを提供したいと考えていました。料理やお菓子づくりをはじめたのは小学生の頃。母親の影響で普段からフライパンを手にしていましたね。実は、母は中村割烹女学院(現中村調理製菓専門学校)の1期生なんですよ。
 
――それでナカムラに進学されたんですか?
いえいえ(笑)。母がナカムラ出身だと知ったのは後のことです。普段から料理が得意な母の手の込んだ料理を食べていたお陰で、美味しいものに対する意識は強かったと思いますが、学校選びのきっかけになったのは、高校時代の英語研究会の先輩でした。当時、福岡で有名なレストランでサービスをしていた先輩のもとを訪ねたとき、料理を学ぶならナカムラだと言われました。
 
――学生時代、印象に残っている思い出を教えてください。
夏と冬にある実習ですね。冬は卒業料理としてフルコースに挑みましたが、特に思い出に残っているのは夏。現場実習で学んだデザートを出そうと、シュークリームとシャーベットとゼリーで当時の校長先生にワンプレートデザートをつくりました。銀板にゼリーを敷き詰めて水面をつくり、シュークリームで今にも羽ばたきそうなスワンの親子を浮かべ、その隣にクッキーでつくった器にシャーベットを入れて飴かけのドームを被せたデザートは満点。当時の校長先生から「デザートで満点を採ったのは君がはじめてだよ」と言われました。

 

――卒業後はフレンチの世界に進まれたと伺っています。
和洋中をひと通り学び、西洋料理に進んだ私の場合、27歳まで将来は料理人になると思っていましたね。21歳で福岡を代表する「レストラン花の木」で4年間修業。2年間はギャルソンとしてマナーやオーダーの取り方からワインの知識まで学び、じっくりとフレンチの基礎を学びました。そこから厨房に入り、25歳の時に飛び込みで「ムッシュ・ブッファン」へ。27歳で渡仏するまでは、フランス料理でやっていくと思っていました。
 
――お菓子の世界に移行したのはいつ頃でしたか?
「レストラン花の木」で働いていた頃から、私がお菓子づくりに興味があることを周囲の人は知っていました。先輩から勧められた弓田亨さんの本に大きな影響を受けたのもその頃ですね。本場フランスの生クリームは日本のものとは全然違うことが記されてあり、本場の味を知りたいとフランス行きを考えるようになりました。
 
――どのようにしてフランス行きを決めたのでしょうか。
働いていた「ムッシュ・ブッファン」には、シェフと親しい「16区」の三嶋シェフが訪ねてくださっていました。弓田亨さんの本に掲載されていたオペラをデザートに出していた私は、恐る恐る三嶋シェフに感想を尋ねたんですね。すると、「美味しいよりも一生懸命につくることが大事」だと言われ、すぐにでもフランスに行きたいと思うようになりました。その半年後、フランスで働いていた「ムッシュ・ブッファン」の卒業生が次の店に移るタイミングで誰か来ないかと声をかけていただき、27歳でフランス・リヨンのレストランで働けることになりました。そのレストランの近くにチョコレートで有名なヴァローナ社があるんですよ。約半年間働いた後は、やっぱりお菓子がしたいとパリに移り、マドレーヌ寺院の近くにある「フォン・ドール・チバ」で働きはじめました。
 
――フランス滞在中に日本人で初めての金賞を受賞されたと伺いました。
「フォン・ドール・チバ」で働いているとき、「アルパジョンコンクール」に参加しました。粉砂糖約50kgを使い、飴細工でテーブルくらいの大きさでノートルダムパリを忠実に再現。ピエスアーティスティック部門の金賞を日本人として初めて受賞することができました。その後、「エルグ・アッシュ」で1年、「ジェラール・ミュロ」で2年の経験を積み、32歳で帰国。当時、新社屋に移ったばかりの三嶋シェフの「16区」で働きながら開業準備を進め、33歳の時に「ジャン・ドゥ」をオープンしたんです。
 
――陶山さんが大切にしている心得を教えてください。
小学校や中学校、高校で学生さんに話す機会をいただいたとき、必ず話すことがあります。コンクールなどでいろいろな味を創作したり、研究を重ねることもありますが、美味しさを追求したり、美しく仕上げる技術や知識を磨くのは、あくまでもプロとして人を喜ばせるための手段や方法であるということです。いい知識や経験を持っているからといって一流ではないんだよと伝えていますね。プロ野球に例えると、球団が活躍するからこそファンが集まり、チケットを買ってくれるわけで、そのファンを喜ばせるために特訓したり、練習したりしますよね。そして、チームが勝って初めてファンに喜んでもらえる。つまり、喜んでもらうためにプロ意識を持つこと、妥協しないことが大事だと伝えています。
 
――ケーキづくりにおいて心掛けていることはどんなことでしょうか?
お陰様で「ジャン・ドゥ」は25周年を迎え、ロールケーキも20年近く愛され続けています。どのお菓子も大事にしていますが、ロールケーキやシュークリーム、ゼリーのようなシンプルなお菓子こそ誤魔化しがきかないので凄く難しいんですよ。1+1=2なら誰にでもできると思いますが、素材の良さを引き出し、1+1=3にすることをお菓子で叶えたいと思っている私は、味の美味しさに偶然はないといつもスタッフに話しています。だからこそ、何かを生み出す時は、生みの苦しみを経験します。また、時代とともに好まれる味も変わるため、20年経つロールケーキもお客様から「美味しい」と言われ続けるために進化し続けています。常に試行錯誤を続けることも大切だと考えていますね。
 
——ありがとうございました。
 

大切にして欲しいのは、「凡事徹底」という気持ちです。お客様がいつ店に来られても「ここのお菓子は美味しいね」と言われることが何よりも大事だと考えています。なので、私たちの仕事も7割くらいが掃除や洗濯や片付けなんですよ。華やかに見える世界ですが、実は当たり前のことを積み重ねることがいちばん大事な部分だと忘れずにいて欲しいですね。

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