——髙橋さんが食の世界を志したきっかけを教えてください。
大学4年生になり一般企業への就職活動に取り組んでいました。もともと食べることが好きでしたので、地元・福岡の出版社で食に関わる仕事をしようと考えたのですがご縁がなくて。あと1年、その世界を目指してみようかとも考えましたが、子どもの頃から1つのことに打ち込んだことがなかったので、料理でもしてみようかなと考えたんです。カルボナーラを作ってみたのですが、炒り卵みたいになってしまって。なんでこうなってしまうんだろう?と不思議になり、ナカムラの卒業生でもあった母に弟子入りしてお米の研ぎ方から教えてもらいました。以来、料理への興味は増すばかり。本格的に料理を学ぶことにしたんです。
——学生時代の思い出はありますか?
特別講師として有名なシェフが来てくださるときはとても楽しかったですね。本物の仕事を見せていただきました。また、生まれて始めて自分が打ち込めるものを見つけた私は、朝練ができる環境があることがとても嬉しかったことを覚えています。
——卒業後はどのような経験を積まれたのでしょうか。
在学中はさまざまな情報が入ってくるようになり、スターシェフに憧れるようになりました。勉強をすることが嫌いではなかったので、歴史なども含めて学べるフランス料理に興味を持ったんです。卒業後は福岡か東京で迷いましたが、東京の「ラ・ブランシュ」で食事をさせていただいたときに衝撃を受け、東京で学ぶことに決めました。3年ほど都内のレストランで修業させていただき、2004年に渡仏。ミシュラン三ツ星の「ルドワイヤン」をはじめ、ビストロだけでなくパティスリーやブーランジェリーなどでも修業をし、2007年に帰国しました。
——パティスリーやブーランジェリーなどでも学んだのはなぜでしょう?
もともとお菓子が好きなんですよね。フランスにいると、レストランは1人で行きづらいけど、製菓店は一人でも行きやすいしテイクアウトもできます。お菓子は好きだけど作り方がわからないなと思い、帰国を延期してお菓子やパンを学ぶことにしました。
——帰国後はどのような経験を積まれたのでしょうか。
代官山にあった「ル・ジュー・ドゥ・ラシエット」のシェフに就任しました。代官山という街は、銀座や丸の内と違ってお客様を呼ばなければなりません。私の使命は、お客様に代官山の坂を登っていただくこと。自分の中で「同じお客様には同じ料理を出さない」というルールを決めて、常に新しいことに挑戦していましたね。当時、そのルールを設けてしまったため、今でも大変な思いをしています(笑)。
——『ル スプートニク』はどのようなお店ですか?
「スプートニク」というのは、旧ソ連による世界初の無人人工衛星の名前ですが、ロシア語で「同行者」「旅の連れ」という意味があります。他国の言葉を自国の言葉にする最近のフランス人の柔軟かつ前衛的な姿勢を尊重し、フランス料理の伝統を重んじながらも新しいことに挑戦し続けたいという思いをこの店名に込めました。
——日々、どのようなことを意識されているのでしょうか。
「自分の力がどれだけ通用するか」を試したい気持ちがあり、海外に進出したいという思いを抱いています。そのため、自分らしい料理を追求することを強く意識していますね。素材の良さは当たり前にあって、味や食感などの良さはもちろん、そこにプラスして自分らしさが表現できているのかということを重視しています。また、フランス料理の世界は機械化が進んでいますが、寿司職人は手仕事がほとんどですよね。フランス料理は機械化や数値化が進み便利な機械が生まれていく中で、機械も使えるけれど手仕事の方が美味しいよ、楽しいよということを伝えていきたいという思いもあります。
——最後に。今後について教えてください。
私の料理を世界中の人々に食べていただき、楽しんでいただくことが目標です。数年前、ロシアで料理をさせていただく機会があり、とても楽しかったことを覚えています。今後はそのようなことにも積極的に取り組んでいきたいですね。
——ありがとうございました。
東京で店を構えるという想いを持たないまま福岡を離れました。大変な時期もあったけれど、今、東京で生き残ってやっていくことができているのは、どんなことがあっても辞めなかったからです。目指す道があるのであれば、辞めないことが大切です。その先に必ず未来は拓けるはず! 頑張ってください。