――料理の世界へ入ったきっかけを教えてください。
韓国の兵役が終わって22歳のときに料理を学ぶための専門学校に入りました。叔父が料理人でしたし、いずれ自分でビジネスをしたいと思っていたからです。専門学校に通いながら宮廷料理のお店で働いていたのですが、近所にあった寿司店の前を毎日通っているうちに、そこの職人さんたちがとてもカッコよく見えて、寿司職人に憧れました。そこから、ふぐとマグロの専門店に移り、一時は日本で和食を学ぼうと留学を考えていましたが、知人がシドニーで店をオープンすることになり渡豪。回転寿司店やフレンチジャパニーズの店で働いていたものの、どうしても本場である日本で和食を学びたいと、語学学校を経てナカムラへ入学しました。
――和食を学ぶ場としてナカムラだった理由は?
兵役に入る前から、日本の学校で本場の和食を学びたいという想いがありました。留学先のオーストラリアで福岡出身の妻に出会い、ナカムラは韓国にも分校があるので有名でしたので、福岡のナカムラに決めました。
――ナカムラ時代で印象に残っていることを教えてください。
先生の多くが料理人出身でしたし、これまで経験したことのない技術を学べて毎日楽しく過ごしました。特別講師としてスターシェフの方も来られて、料理のことだけでなく、料理との向き合い方なども話してくださったことも印象に残っています。先生や同級生など、多くの人とのご縁ができたことも嬉しかったです。今、お店を手伝ってくれている平田慎一郎さんも、ナカムラ時代の同級生です!
左がオさん、右は同級生の平田さん
――卒業後はどちらで学ばれましたか?
博多駅そばの「松月亭」に入社しました。グループ店がいくつかあり、さまざまな業態の店舗で学べたことが大きかったですね。先輩方もやさしく、今でもお店に来てくださいますし、応援してくださっています。
――和食を学んだのに、韓国料理のお店を出店した理由は?
日本には実力のある和食の料理人がたくさんいます。韓国人が和食をするよりも、韓国人として韓国の魅力を発信した方が楽しいと考えるようになりました。ソウルにあるようなオシャレで洗練されたお店はまだ少なくて、チャンスがあるとも考えました。
――今後の展望を教えてください。
日本では韓国料理のお店を開きましたが、韓国には和食のお店を開きたいと考えています。具体的には天ぷら居酒屋を開きたくて、2023年中のオープンをめざしています。一方、この『ホランイ』の業態をシステム化し、日本国内でチェーン展開をしたいですね。
——ありがとうございました。
この世界は経験がいちばん大切です。若いときは大変かもしれませんが、コツコツ頑張れば目標を達成できるということを伝えたいですね。何をするにも目標を掲げて始めることが重要だと思います。