——古川さんが料理人を志したきっかけを教えてください。
大学に通っていた頃、飲食店でアルバイトをして料理って面白いと感動。大学を1年で辞め、ナカムラに入学しました。
——確か、お父様は有名な料理研究家ですよね。
はい。けれど、料理の世界へ行くと決めたのは、父の影響はありませんでした。むしろ、父からは大反対されたんです。けれど、私の決意は固く、父を説得し許しを得ました。両親から「専門学校に入るならナカムラがいい」と勧められたことが、入学のきっかけです。
——卒業後、「味吉兆」で修業しようと思われたのはなぜですか?
専門学校時代、「浄水茶寮」(福岡)、「本湖月」(大阪)に実習へ行かせていただいたのですが、「浄水茶寮」の店主の方は東京の「吉兆」で、「本湖月」の店主の方は神戸の「吉兆」で修業されたと聞きました。「吉兆ってどんなところだろう?」と興味を持ち、3回目の実習で「味吉兆」に行かせていただいたことがきっかけですね。13年間、「味吉兆」一筋で修業させていただきました。
——独立するにあたって、福岡を選ばれたのはなぜでしょう?
大阪のお客様からは「大阪でお店を持ったらいいよ」と言っていただいたりもしましたが、妻も福岡出身ですし、いずれは福岡に戻らないといけないとは考えていました。また、福岡の食材で日本料理をつくることができたら面白いのでは?とも思いましたね。
——それからすぐに「御料理古川」を開かれたのですか?
いえ。福岡に戻ってきて4年間、「俺の割烹 博多中洲」の料理長をしていました。場所を探すこともですが、この4年間は地元・福岡の食材を知るためにも必要な時間でしたね。
——お料理をされる上で心がけていることを教えてください。
大阪で学んだ正統派の懐石料理をベースに、福岡だからこそ表現できる日本料理を追求したいと考えています。そのため、トリュフやフォアグラといった外国の食材や動物性の強い食材は使わず、日本料理の特徴である“うま味”を基本として、奇をてらわずに料理をすることを心がけています。とはいえ、伝統を守ることに固執しているわけではありません。新たな調理法を柔軟に取り入れるなど、より美味しい一品を提供するための試みは積極的に取り組んでいます。
——最後に。料理人としての想いをお聞かせください。
私たち日本料理の料理人は、料理を通して文化を継承していくという役割も担っているのではないでしょうか。「御料理古川」では、5月になるとちまき寿司をお出しさせていただきますが、器に軒菖蒲を飾ります。今では珍しくなった軒菖蒲の風習ですが、そのような文化の継承に貢献できることは嬉しいですね。また、日本料理に福岡ならではの文化を取り入れることも意識しています。たとえば、お食い初めのお祝い料理を博多曲物の「ぽっぽ膳」で提供するなど、料理とともに福岡のモノづくりの文化も伝えていきたいと考えています。
——ありがとうございました。
専門学校を卒業して就職するときって、いいイメージを描いてしまいがちです。けれど、どの世界もそうですが、スタートからうまくいくことなんてほぼなくて、思い通りにならないことが殆どです。誰もが現場とのギャップにぶつかります。それでも、凹まず、悩まず、料理をしたいという想い、料理が好きという想いを大事にしながら、職場の先輩の指示やアドバイスを素直にきいて、一つひとつコツコツやっていくことが大事だと思います。