——福本さんが料理人を志したきっかけを教えてください。
両親が焼鳥店を営んでいて、高校の頃からずっと手伝っていました。そこで料理に興味を持ち、自分が作った料理でお客様が喜んでくださることが嬉しくて。料理の世界へ進もうと決めました。
——ナカムラ時代のエピソードなどはありますか?
やはり現場実習が印象に残っています。1回目は「五福」(福岡・福重)へ、2回目は「五福」の柴田社長も修業された熊本ホテルキャッスルの「桃花源」へ行きました。中国料理の世界はとても面白く新鮮で、先輩方とさまざまな話をさせていただいたことが、とても楽しかったことを覚えています。
——そのことがきっかけで、熊本ホテルキャッスルへ就職されたんですね。
はい。とても厳しい職場ではありましたので、入社して4、5年は本当に大変でした。当時の熊本ホテルキャッスルは、時間をかけて指導していくスタイルでした。途中で辞めてしまうスタッフも少なくなかったですが、感覚としては10年が一つの目安になっているという感じでしょうか。結局私は14年、「桃花源」にお世話になりました。その後、独立をめざして、地元・福岡に戻り、研修でもお世話になった「五福」へ。開業準備をしながら1、2年ほどお世話になろうと思っていたのですが、結果的に5年ほど副料理長として経験を積ませていただきました。
また、「桃花源」や「五福」で修業を積んでいた頃は国内外のコンクールに出場していました。特に「桃花源」の頃は、出場して当たり前の環境でしたし、先輩方も賞を獲得されていたので、自分も!という想いはありましたね。「桃花源」では、決まったメンバーしか鍋を振ることを許されませんが、コンクールのときは自分の好きなように食材も道具も使うことができたので、自分を表現する絶好の機会でした。国内外の大会で金賞を受賞できたことは、とてもいい経験になったと思います。
——天神や博多駅ではなく、周船寺にお店を開いたのはなぜですか?
私は糸島で生まれ育ちました。糸島から熊本へ行ったとき、初めて中国料理のフルコースを作っていただいて、心から感動したことを覚えています。この素晴らしい料理を地元である糸島に持ち帰りたいと考えました。最初は糸島で物件を探していましたが、条件の合う物件となかなか出会えなくて。糸島に近いここ周船寺にご縁をいただき、オープンさせていただけることになりました。
——どのような料理をめざしていらっしゃいますか?
私は、日本における四川料理の第一人者・陳建民氏の愛弟子である斉藤隆士さんや、そのお弟子さんである柴田眞利さんから、伝統的な四川料理を教わってきました。師匠から学んだ大切な料理だからこそ、変えていいところと変えてはいけないところがあると思っています。たとえば、奇をてらった麻婆豆腐を作ったとしても、一瞬はブームになるかもしれませんが、そのメニューが10年後も残るとは限りません。私たちが学んできた基本を大切にする料理を守り、伝えていかなければならないと感じています。メニュー、定番から季節の食材を使ったものまで100アイテム以上あります。ランチやコースもございますし、さまざまなシチュエーションでお楽しみいただきたいですね。
——ありがとうございました。
まずは夢を持つこと。自分の店を持ちたい、お金儲けがしたいなど、どんなことでもいいでしょう。その夢を叶えるために目標を掲げ、その目標を一つひとつクリアしていけば、少々きつくても、大変でも、続けていくことができます。私の場合は、5年後、10年後、15年後と、その都度、目標を掲げてきました。同じように夢を持ち、語り合っていた仲間たちは、オーナーや料理長として活躍しています。頑張ってください。