——天野さんが料理人を志したきっかけを教えてください。
小学校の卒業アルバムにはすでに「天寿しを日本一にする」と書いていました。いずれ寿司の世界に入るとは決めていたものの、高校を卒業するにあたって、周りの友人たちは大学に進学していきます。私ももう少しだけ遊びたいなという思いがあり、とはいえ大学へ進学することには意味が見出せなかったので、少しでも自分の人生のための勉強ができる調理専門学校に進むことにしたのです。
——当時はどのような学生でしたか?
西洋料理の世界が斬新に見えましたね。ナカムラは厳しかったけれど、料理の世界の楽しさも教えてもらいました。当時、学校は大手門にあり、3枚おろしの試験の前には大手門の商店街にある鮮魚店へ行って練習をさせてもらっていましたし、桂むきの試験の前になると、フランス料理の授業を聞きながら、手元は桂むきの練習をしていたことを覚えています。
——卒業後はどのような道を進まれたのですか?
東京の寿司店に入らせていただきましたが、「天寿し」を受け継いでいくのであれば、先代のもとで学んだ方がいいと考え、1年ほどで小倉に戻ってきました。
——お父様が考案された「小倉前」「九州前」とは、どのようなお寿司なのでしょう?
江戸前は「simple is best」ですが、「天寿し」のスタイルは、この素材をどうすれば美味しくできるかを考え、味を足していくものです。九州だからカボスとお塩で食べていただこうと考案しましたが、当時は「邪道だ」と叩かれたりもしたものです。それでも、私たちは、九州の良さを知っていただくためのお寿司であることを追求してきたからこそ、県外や海外から多くのお客様がお越しくださるようになりました。
——今では県外や海外のお客様が8割以上だそうですね。
はい。うちのお寿司をめざして、皆さん来てくださいます。そうやって来てくださるお客様は、お客様としての振る舞いも素晴らしいんですよね。料理は安ければいいという文化ではありません。小倉はB級グルメが有名ですが、一流の食の街としても認知されるようになってほしいと考えています。
——60歳を超えて、ますますご活躍ですね。
はい。数年前からは、寿司のことだけでなく、生産者の方の地位を高めることもしていかないといけないと考えるようになりました。大量生産できる方法と、手間暇かけて少量しかできない方法で作られた野菜や魚介が同じ価格ではいけないですよね。たとえば、うちが取引しているウニの漁師さんは、大粒のいいものだけを厳選して持ってきてくれます。そういったものは市場よりも高い値段で仕入れるようにしています。いい仕事をすれば、いい価格で買ってもらえることが伝われば、自ずと食材のクオリティが上がっていくはずです。私たち料理人は、漁師さんや農家さんの代弁者でもあるのです。生産者の方々の気持ちを伝え、そのお気持ちでお値段をいただいて、それをまた生産者の方に還元する。そうやって全体の底上げを図っていこうと思っています。
——最後に。小倉の食文化についての展望を教えてください。
私自身、月に一度は東京へ行き、一流の人たちと話をさせていただいています。江戸前が太陽で、私たち地方の寿司が月だとすれば、太陽がしっかり輝いてくれないと月は輝くことはできません。江戸前にも頑張っていただきつつ、私たちも深化(しんか)を続けることで、食を通じて小倉の街の勢いを取り戻したいですね。まだまだ頑張りますよ!
——ありがとうございました。
料理人というのは、とても価値のある仕事です。可能性は無限に広がっています。けれど、最近は「17時で終わる仕事がしたいから」と、違う道を選択する若い人が増えていると聞きます。人生、最終的には50/50になるのです。若いときに頑張るのも、年齢を重ねてから頑張るのもゴールは同じ。夢を持ち続け、頑張り続けてください。