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La Lucanda(ラ ルカンダ)

福岡・笹丘の住宅街に佇む一軒家レストラン。ナカムラを卒業後、東京での修業を経て24歳でイタリアに渡った藤本シェフが、イタリア北西部のピエモンテやロンバルディアで学んだ郷土料理を楽しませてくれる。「ミシュランガイド福岡・佐賀・長崎2019特別版」掲載店。

中央区 イタリアン・フレンチ

平均予算:昼2,000円〜、夜5,000円〜

  • #イタリア料理
  • #昼営業
藤本 慶輔

平成11(1999)年卒業/調理師科1年コース

藤本 慶輔 氏オーナーシェフ

1978年生まれ、福岡県福岡市出身。高校を卒業後、カナダへ留学。現地で作った料理が評判となったことがきっかけで料理人の道を志す。中村調理製菓専門学校卒業後は、東京やイタリアで様々な経験を積み、1つ星の「ラ ルカンダ」でスーシェフを務め帰国。2011年12月に「ラ・ルカンダ」をオープンさせた。

——藤本さんが料理人を志したきっかけは何だったのでしょう?
中学を卒業したら海外へ行きたいと思っていたのですが、両親から高校は卒業するようにと言われたので、高校を卒業後、カナダへ留学しました。語学学校時代に料理を作っていたら、その料理が評判になって。料理人っていいなって思ったのがきっかけです。
 
——お父様もお兄様もイタリア料理の料理人ですよね。
はい。西新で「カサーレ」というイタリア料理店を営んでいます。今は兄がシェフを務めていますが、留学するまでは料理人の道へ進むことは考えてはいなかったんですよね。ただ、料理人になると決め専門学校を決めるときは、兄が通っていたナカムラへ行くことにしました。

 

 
——卒業後は、どのようなお店で修業されたのでしょうか。
父や兄が修業した「キャンティ」の元料理長が料理長を務められていた「イル カバロ ビアンコ」に入らせていただきました。2年半ほどすると「もう君に教えることはない。次のステップに進みなさい」と言われ、ある有名店に移り、1年後、24歳でイタリアに渡りました。最初はフィレンツェに着き、三つ星の有名店に入ることができたんですけど、日本人が12人もいたため、「イタリアに来たのに、この環境では意味がない」と次の修業先を探すことにしたんです。ご縁があってピエモンテのお店へ移ったものの、そこにも日本人が1人いて。働きながら日本人がいないお店を探し続け、2年ほど、日本人がいない環境で学ぶことができました。
 
——帰国後は福岡へ?
いえ。いずれ東京で店を出そうと考えていたので、東京に戻りました。ただ身体を壊してしまって。30歳で福岡に戻ってきたんです。1年間休養して、31歳のときに「ラ ルカンダ」をオープンさせました。
 
——「ラ ルカンダ」は、どのようなお店なのでしょう?
ピエモンテ料理とロンバルリア料理をメインに、私がイタリアで経験したものを伝えていきたいと思っています。現地のレストランでは、手打ちパスタを食べさせてくれていましたし、東京やイタリアでも手打ちパスタを作ってきました。何かに特化したお店にしようと考え、柱の1つに手打ちパスタを据えました。また、パスタも含めて料理に関しては、信用できる食材を仕入れて、その食材の美味しさをシンプルに味わっていただくような料理を心がけています。料理人って、どうしてもいろいろ足してしまう癖があるんですけど、私は“引き算”の料理をめざしています。
 
——お酒の種類も充実されていますね。
ワインは自然派ワインも揃えています。また、ワインやグラッパなども気軽にグラスで飲んでいただきたいという想いで頑張っています。お酒と料理のマリアージュを楽しんで欲しいですね。
 
——最後に。どんなお店をめざしているかを教えてください。
街場からのアクセスがいいとはいえない場所だからこそ、これまでずっと通ってくださっている常連のお客様を大切にしていきたいですね。もちろん、新しいお客様も大歓迎! 気軽にご来店ください。
 
——ありがとうございました。

 

目の前のことだけでなく、未来のことを考えて行動して欲しいと思います。「今が辛い」と、お店を辞めてしまう人もいるでしょう。けれど、辞めたからといって終わりではありません。お店を辞めることを止めはしませんが、この道を諦めることはして欲しくないんですよね。頑張れば必ず乗り越えることができます。次のステップを考え、計画を立てて、一歩一歩ステップアップしてください。

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