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西中洲 游來(ゆき)

肉料理を中心に、「日本料理」「中国料理」「韓国料理」などのテイストを融合させた「焼肉」の枠に捉われないオートクチュールのコースを提案。稀少部位なども揃えており、牛肉の魅力をさまざまなアプローチで楽しませてくれる。

中央区 その他

平均予算:10,000円

  • #西中洲
  • #肉料理
田村 岳幸
田村 岳幸

平成6(2004)年卒業/調理師科1年コース

田村 岳幸 氏店主

1974年生まれ、福岡県福岡市出身。1967年に福岡・箱崎で創業した「田無羅」を営む田村家の次男として生まれる。自然な流れで料理の道を志し、ナカムラを卒業後は大阪の老舗料亭「大和屋」に就職。5年間の修業を積み福岡に戻ってからは、さまざま業態の飲食店で経験を重ねる。26歳のときに父と兄が営む「田無羅」に入り、30歳で独立。テレビの料理番組に出演したり、母校であるナカムラで講師を務めたりと、幅広く活躍する。

——田村さんが料理人を志したきっかけは何だったのでしょう?
実家が「田無羅」という焼肉店を営んでおり、店で皿洗いなどを手伝っていました。また、両親が遅くまで仕事をしていたので、自分で朝ごはんを作って学校へ行ったりもしていましたね。自然な流れで料理をすることに興味を持ち、アレンジすることなども楽しく、いずれはこの道に進むと思っていました。
 
——ナカムラ時代の思い出はありますか?
正直、和食店でバイトばかりしていました。ただ、そこで思ったのは、高校を卒業してそのまま料理の世界に入るのではなく、専門学校に通ったからこそ、調理の基礎知識や道具の名称といった基礎知識を学べたことは、とてもよかったということです。この世界で働くことの心構えのようなものも教えていただきましたし、就職したときにスムーズに現場に入ることができました。
 
——卒業後は、どのようなお店で修業されたのでしょうか。
私は、商売がしたいという考えでしたので、大阪で働きたいと思っていました。日本人を相手にするなら和食を知っておいた方が強いと考え、卒業後は大阪の料亭「大和屋」へ。5年間、修業をさせていただきました。和食の世界って、親方が店を移るとなると、弟子たちも一緒に移るという慣習があるのですが、当時の親方が広島に移ることになったんです。広島へ行くんだったら福岡に戻ろうと考え、福岡の飲食店で働き始めました。
 
——和食からお肉の世界へ。何かきっかけはありましたか?
はい。福岡に戻って1年ほど経ったころでしょうか。実家の店が箱崎から春吉に移転することになったんです。そのときに手伝って欲しいと言われたのですが、私はほかのお店で働いていたので、その店の休みの日に手伝うようになったんです。お肉のことを教えてもらえたらいいなくらいの気持ちでしたが、そこで初めて肉の世界の奥深さ、家業の仕事の凄さを知って感動! 父と兄のもとで学ばせてもらうことになり、3年後、「游來」をオープンしました。

——「游來」は、どのようなコンセプトのお店ですか?
当時、お肉のお店といえば鉄板焼か焼肉しかありませんでした。焼肉は庶民的なお店が殆どでしたので、もっと違うアプローチで、お寿司を1貫ずつ楽しむように、お肉のさまざまな部位を楽しんでいただけるようなコースを提案しようと考えました。「焼肉」という枠を超え、「日本料理」「中国料理」「韓国料理」など、さまざまなテイストを融合させた新感覚のコースを提案させていただいています。
 
——産地などのこだわりはありますか?
基本的には九州で育てられた牛ですね。ただ、産地というよりも生産者の方の哲学に共感できる牛、それをドメーヌ牛と呼んだりするのですが、そういったものを使いたいと思っています。
 
——こんなふうにお肉を楽しんで欲しいという想いはありますか?
「赤身でお願いします」とか「お肉はやっぱり塩で食べるに限るよね」とか言われるお客様もいらっしゃるのですが、そのような固定概念を持たれている方は、ご自分でお肉の楽しみ方を狭めてしまっているんですよね。赤身も霜降りも、塩もタレも楽しんで欲しいんですよね。「塩がいい」「脂が強いお肉は食べられない」という方がいらっしゃるのは、そんなふうに思わせてしまう提供する側に問題があるといいますか。その概念を覆していくことが、私たちプロの使命だと思っています。
 
——ありがとうございました。
 

就職してすぐの頃は、思い描いていた世界とのギャップを感じて、辛かったり大変だったりするかもしれません。けれど、その壁を超えることができれば、どんどん楽しみが増してくるはずです。料理をつくるというのは素晴らしいこと。その想いを大切に持ち続けてください。

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