——香月さんが料理人を志したきっかけを教えてください。
久留米で「大砲ラーメン」を営む香月家の次男として生まれました。自然な流れで食の道を志したものの、家業は兄が継ぐことになります。最初は洋食に進もうと思っていましたが、母から「あなたは手先が器用だから和食がいいんじゃない? 毎日飲むお味噌汁でお金をいただける料理人って凄いと思わん? あなたはそっちの方が似合うんじゃないかな」と言われて、ナカムラを卒業する1ヶ月前に和食に転向しました。
——卒業後はどのようなキャリアを築いてこられたのでしょう。
京都や東京で修業をしたいと考えましたが、卒業する頃は両親が病に倒れ、福岡を出ることができなくなりました。2年半ほど福岡市内の日本料理店にお世話になり、両親も落ち着いてきたので、県外に出ることにしたんです。田村平治さんの著書に感銘を受け、「つきぢ田村」の門を叩きました。5年半学ばせていただき、福岡の和食店を経て30歳で兄が経営する「香津木」の店長として働き始めました。約10年後、店主になり店名を「温坐」に変え、祇園にも店を構えました。ランチや仕出しなども行なっていましたが、50代は自分がこれまで培ってきた技術を駆使して、全身全霊で自分の料理を表現したいと考えるようになり、環境を整えようと2年ほどかけて場所を探し、2017年12月、西中洲に移転しました。
——『温坐』は、どのようなお店ですか?
これまでいくつかの業態を経験してきましたが、ここはカウンター席と個室のみのこぢんまりしたお店です。すべてに自分の手が届く範囲で料理に真剣に取り組めるのが、この広さだったんですよね。この春まで、夜のみの営業でしたが、毎日朝9時には仕込みを始めて夜の準備をしていました。この春からはランチやお持ち帰り、デリバリーも行なっています。こんなときだからこそ、滋養のあるものを食べ、健康に留意しながらこの難局を皆さんと乗り越えていきたいと思っています。
——仕事をする上で大切にしていることを教えてください。
30代半ばからお店のトイレの掃除を欠かしたことはありません。店主がトイレを掃除すればスタッフもきちんとします。飲食店だからこそ、いちばん清潔にしておかなければならない場所でもあります。トイレ掃除をすることで常に初心を忘れずにいることができています。
——ありがとうございました。
私は東京に出るときに「東京でいっぱい恥をかいてこい」と送り出されました。失敗することも大切なんですよね。その経験が必ず成長の糧になります。若いうちは失敗を恐ることなく、たくさん恥をかいてください。