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RISTORANTE MOTOMURA

東京やイタリアで幅広い経験を積み、その仲で得た知識や技術を活かした本場イタリア料理を届けたいと2017年4月に独立。イタリアにある街場の小さなレストランをコンセプトに据え、駅から少し離れた住宅街の一角に店を構えた。

関東 イタリアン・フレンチ

平均予算:昼1,500円、夜7,000円〜

本村 逸人

平成4(1992)年卒業/調理師科1年コース

本村 逸人 氏オーナーシェフ

1972年生まれ、佐賀県出身。中村調理製菓専門学校を卒業後、「アルポルト」や「チキンズ」などで修業を積み渡伊。ミラノの有名店「サドレル」のほか、各地の大衆レストランから高級レストランまであらゆるスタイルのレストランを経験。帰国後は副料理長やシェフとして活躍した後、高級焼肉店「KINTAN」を経て、2017年4月「リストランテモトムラ」をオープン。

 

——本村さんが食の世界を志したきっかけを教えてください。
母が料理上手で、家ではいつもたくさんの料理が並んでいました。皆で食卓を囲む時間が楽しくて、私もそのような場が提供できたらとの想いで料理人を目指しました。
 
——学生時代の思い出はありますか?
先生が一緒に放課後に残って課題のアドバイスをしてくださったことが記憶に残っています。ナカムラの先生方は距離も近く、いつも親身になってくださいましたし、事細かにアドバイスをしてくださったことは、とてもありがたかったです。
 
——卒業後はどのような経験を積まれたのでしょうか。
専門学校時代の研修は福岡のイタリアンやフレンチに行きましたが、せっかく学ぶなら東京の有名店で忙しいお店に行きたいと考え「アルポルト」に就職しました。その後、「チキンズ」に移り、シンプルなイタリア料理を学ばせていただいたのですが、別の世界を見てみたいと、一度料理の世界を離れたんです。あるとき、街を散歩していたらレストランがアルバイトの募集をしていました。自分の経歴を伏せてアルバイトを始めたところ、これまでやってきたことと内容が違いすぎて唖然としました。そこでようやく「これまでやってきたことはとても凄いことだったんだ」と認識し、再び料理の世界でやっていくことを決意したんです。その後、「パサール」で料理長を経験。当時の社長がとてもいい方で「イタリアへ行ってみたい」と話したら10日ほど休みをくださいました。イタリア旅行でいろんなお店を巡るうちに現地で勉強したいと考えるようになり、イタリアへ渡ることを決めました。
 

——イタリアではどのような修業時代を過ごされたのでしょうか。
ミラノでは巨匠と呼ばれるクラウディオ・サドレル、ダビデ・オルダーニのもとで学ばせていただいた後、トスカーナやベローナ、クレモナ、ジェノバ、メラーノなどで大衆レストランから高級レストランまで、あらゆるスタイルのレストランで経験を重ねました。イタリアには5年ほどいましたね。
 

——帰国後はどのような経験を積まれたのでしょうか。
「アルポルト」時代の同期だった神戸勝彦氏の「MASSA」でオープニング時の副料理長に就任しました。その後、「チェッピーノ」や「sumileTOKYO」のシェフを経験。あるとき、自分のことを知らない環境に身を置きたくなり、肉の勉強をしたかったこともあり高級焼肉店「KINTAN」へ。西洋料理ではあまり使用されない部位やお肉の保存、肉質の見分け方などを学び、2017年4月、「リストランテ モトムラ」をオープンさせました。
 
——『リストランテ モトムラ』はどのようなお店ですか?
コンセプトはイタリアにある街場の小さなレストランです。店舗から5分ほどの場所にある自家菜園で野菜やハーブを育てているほか、地元・佐賀の農家さんからイタリア野菜を送っていただいたりもしています。これらの野菜を使った料理をはじめ、赤身肉の炭火焼や本場で学んだ手打ちパスタなどを楽しんでいただけると嬉しいですね。普段から気軽に利用していただけるよう、価格帯も抑えめに設定しています。
 
——最後に。今後について教えてください。
お客様のさまざまニーズに応えられるよう、柔軟なスタンスで店づくりをしていきたいと考えています。
 
——ありがとうございました。


 

食にまつわる仕事の幅は以前よりも格段に広がっています。フードコーディネーターやフードスタイリスト、オーダー給食など、いろいろありますよね。私たちの頃はレストランやホテルに就職するのが一般的な流れでしたが、今は選択肢がたくさんあるので、自分の適性に合った道を見つけて欲しいと思います。頑張ってください。

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